任天堂より1995年7月21日に発売されたゲーム機の『バーチャルボーイ』。同社としては初のバーチャルリアリティを題材にしたマシンとして注目を集めたものの、大成功にはいたらず、発売開始からわずか半年で製造が終了。その間、日本国内で発売されたタイトルはわずか19本。海外を入れても、22本のみという残念な結果に終わっています。
今回は、当時の貴重な資料や実機のマシン、そしてソフトなどを集め、あらためて『バーチャルボーイ』とはどんなハードだったのかということを徹底的に振り返ってみたいと思います。
なお、後半で紹介するソフトでは、実際に『バーチャルボーイ』でどのように映像が見えていたのが擬似的に体験できるようにするために、赤青メガネを使用した映像も使用してご紹介していきます。赤青メガネ自体は、アマゾンで数百円で売られているので、ご興味がある方はそちらもご用意してください。






目次
- 売上げ国内14万台、全世界77万台の根拠
- 最初のきっかけは任天堂じゃなかった?
- 1990年に流行したVRブームがもうひとつのきっかけに
- 目指したのはバーチャルリアリティではなくバーチャルユートピアだった
- サングラス式を目指すも最終的に高床式に
- 発売前から評判は微妙……タイミングの悪さも重なる
- 横井氏はバーチャルボーイ失敗の責任を負って任天堂を退社したわけではなかった
- バーチャルボーイゲームカタログ(赤青メガネ対応コンテンツ)
- マリオズテニス(任天堂) 1995年7月21日発売
- ギャラクティック・ピンボール(任天堂) 1995年7月21日発売
- テレロボクサー(任天堂) 1995年7月21日発売
- レッドアラーム(T&E SOFT) 1995年7月21日発売
- とびだせ!ぱにボン(ハドソン) 1995年7月21日発売
- T&E ヴァーチャルゴルフ(T&E SOFT) 1995年8月11日発売
- バーチャルプロ野球’95(コトブキシステム) 1995年8月11日発売
- バーティカルフォース(ハドソン) 1995年8月12日発売
- V・テトリス(BPS) 1995年8月25日発売
- マリオクラッシュ(任天堂) 1995年9月28日発売
- インスマウスの館(アイマックス) 1995年10月13日発売
- スペーススカッシュ(ココナッツジャパンエンターテイメント) 1995年9月28日発売
- ジャック・ブラザースの迷路でヒーホー!(アトラス) 1995年9月29日発売
- バーチャルフィッシング(パック・イン・ビデオ) 1995年10月6日発売
- バーチャルボーイワリオランド アワゾンの秘宝(任天堂) 1995年12月1日発売
- スペースインベーダー バーチャルコレクション(タイトー) 1995年12月1日発売
- バーチャルLAB(J・ウイング) 1995年12月8日発売
- バーチャルボウリング(アテナ) 1995年12月22日発売
- SDガンダム DIMENSION WAR(バンダイ) 1995年12月22日発売
売上げ国内14万台、全世界77万台の根拠
1995年7月21日の発売から、同年12月22日に当時の山内社長が販売を中止すると発表(※ソース見つからず)するまでの期間、わずか半年。日本とは異なり、米国では当初『セガサターン』よりも売れていた時期もあったことから、1996年8月に正式撤退するまで販売が継続されていました。
その結果、売上げが国内14万台、全世界合わせて77万台といわれています。この数字の根拠になっている唯一の資料が、1996年に発行された週刊ファミ通6月21日号に掲載された「ファミ通エクスプレス」のコーナーです。

こちらの記事で掲載されているのは、1995年3月末と1996年3月末で各社が公表したゲーム機の累計出荷台数です。『バーチャルボーイ』の場合は、1995年3月はまだ発売前ということで、1996年3月末時点での数字になっているというわけですね。
ちなみに、2010年に発売された書籍『ゲームの父・横井軍平伝』(著・牧野武文氏)によると、最終的に全世界で126万台が売れたという記述も見つけることができます。


1996年3月まで売れたのが、全世界合わせても77万台。Redditの投稿によると、Next Generation誌が1996年12月のみで1万3000台を販売したと報道しているものの、それでも1996年4月以降で50万台近く売れたというのはなかなか考えにくい数字です。
しかし、実は米国では日本とは異なるプログラムが展開されていました。当時任天堂は、ブロックバスターと呼ばれるレンタル業者でもゲーム機の貸し出しを行っており、そちらのユニットもすべて販売済みとしてカウントしていたのです。
実際にブロックバスターがどれぐらいのユニットを購入・レンタルしていたのかという数字はないものの、1995年12月の時点で、同店は約3000もの店舗がありました。仮に各店舗ごとに10台ずつ仕入れていたとしても、3万台程度にしかならないため、やはりまだまだ126万台という販売台数との乖離は大きそうです。

最初のきっかけは任天堂じゃなかった?
カラーではなく、赤黒のみの映像。現代のVRとは異なり、頭に身に付けるのではなく高床式のデバイスという、ほかにはまったくない奇抜なスタイルで登場した『バーチャルボーイ』。しかし、本機が生まれるきっかけになったのは任天堂ではありませんでした。
ときは、『バーチャルボーイ』の発売から10年ほど前になる1985年まで遡ります。ここでエンジニアのアレン・ベッカー氏が思いついたアイデアがすべての始まりとなりました。ベッカー氏の考えたアイデアは、狭い航空機のコックピットのなかで、小型で鮮明な、そして高解像度のディスプレイをコンピューターに接続し、飛行中でも簡単に見られるようにするには? ということでした。
実は、ベッカー氏は1974年にレイ・カーツワイル氏と共に、初のフラットベッドスキャナーの発明に携わっていたことがありました。こちらは元々視覚障害者用読書機として考え出されたもので、500個の光感応ダイオードを1列のラインに並べて1行ずつスキャンを行い、コンピューターで2次元のデジタル画像として再構築するというものです。
この仕組みを利用しつつ、ベッカー氏は特定のエリアで点灯する光のパターンを変更することで、人の網膜に光学的に映像を映し出すことができるアイデアを思いつきます。そこでもうひとつくわえられたアイデアが、1列に並べられたLED自体を動かすのではなく、1秒間に50回前後振動する鏡を使い、反射で映し出されたLEDを使って絵を映し出すことにしました。これにより、鮮明な映像を高解像度で表示できるだけではなく、コストも抑えることが可能になります。
とはいえ、これを実現するアレイを製造する資金を持ち合わせていなかったベッカー氏は、既存の技術の中からAEG Telefunken社が超大型のプリンターに製造したものが適していることを見つけ出します。赤色のLEDは安価だったことからプリンターで採用されていましたが、こちらを採用したことが『バーチャルボーイ』のあの独特な映像表示にも繋がったのです。

約半年でプロトタイプを組み立てたベッカー氏は、資金を得てReflection Technologyを設立。さらに小型化をすすめ、18インチ(45.72cm)離れたところから 12インチ(30.48cm)のディスプレイが見られる1インチディスプレイの『Private Eye』を考案。医師が手術中にMRIの画像をチェックしたり、航空機の整備士が仰向けになっているときにマニュアルが参照できるなどのシナリオを付けた販売資料を作成。ライセンスを使用してくれる企業を探してショーにも展示。話題にはなったものの、大きな利益は得られることは出来ませんでした。


1990年に流行したVRブームがもうひとつのきっかけに
1990年初頭に、米国で話題になっていたのが「バーチャルリアリティ」でした。こちらはゴーグル型のデバイスを身に付けることで擬似的に仮想空間を体験できるというものでしたが、NASAを始め多くの企業がその研究を始めます。そちらに乗っかるような形で、Reflection Technologyでもふたつの『Private Eye』とヘッドトラッキング装置を付けた戦車シミュレーションゲームを開発。マテルやハズブロ、セガなどと交渉したものの、いずれも断られてしまいます。
どうやら、ヘッドトラッキングのラグによって発生する3D酔いや、赤1色でしか表示することができないといったことが理由にあげられていたようです。

その後、日本のコネクションを利用して任天堂にプレゼンする機会を得た同社ですが、そのときに戦車シミュレーションゲームのデモを見せたところ、社員たちは興味津々で見ており、その中には『バーチャルボーイ』の生みの親となる横井軍平氏の姿もありました。
このとき横井氏は「クリアに図面が描けているなというぐらいで、たいして興味がなかったんですね。後で、ひょっとしたら、真っ暗闇というのはモノになるんじゃないかと思いついて、バーチャルボーイの企画になったんです」と、書籍『ゲームの父・横井軍平伝』の中で語っています。

真っ黒はモノになる!
『Private Eye』の弱点は、赤と黒のみの映像表現しかできないことでしたが、その弱点を逆手に取って商品にするという、まさに横井氏ならではのアイデアでこの『バーチャルボーイ』が誕生することになったのです。

目指したのはバーチャルリアリティではなくバーチャルユートピアだった
『バーチャルボーイ』の開発がスタートしたのは、発売から3年ほど前の1992年。当時は、まだスーパーファミコンが全盛の時代だったものの、横井氏はそのときテレビに接続して遊ぶようなものはいずれ飽きられるだろうと考えていました。

「私はファミコン、スーパーファミコンといったテレビを対象としたものは、いずれ飽きられるんではないかと、考えていました。だから、いっそ映像以外のもので遊ぶことはできないやろか、というくらいの広い範囲でアイデアを模索していたんです」(バーチャルボーイ通信より)
その当時バーチャル・リアリティ(VR)が脚光を浴び始めた頃でもあったため、横井氏も娯楽商品向けなのか調査してみたものの、とても使えるような代物ではないことが判明。とはいえ、ヘッドマウントディスプレイで目の前を覆い隠し、立体視表現ができるというコンセプトその物は面白いと感じていたのです。そのコンセプトの一部を採用したところから開発がスタートしています。
ここで横井氏がこだわったのは、「バーチャルリアリティ」ではなく「バーチャルユートピア」でした。その理由は、リアリティがあるわけではなく、全く別のゲームの世界を作る、いわゆる霧幻峡に近いものを作りあげることから、このように考えていたのです。

開発当初は映像を表示するために液晶モニターを採用することを考えていたものの、納得行くものができず。そこで結びついたのが、Reflection Technology社の『Private Eye』でした。こちらの問題点のひとつが、カラーで表示することはできず赤と黒のみの映像になってしまうことです。しかし、横井氏はむしろこの赤黒の映像はモノトーンであるため立体的に見やすいと考えたのです。
そもそも横井氏は、1989年に発売した『ゲームボーイ』の時点で、「いまさら白黒ですか」といわれたという経験を持っており、色自体はゲームの面白さにあまり関係がないという持論を持っていたことも、『バーチャルボーイ』に赤黒の『Private Eye』が採用された理由のひとつといえそうです。

「ゲームに色が必要か、という問題ですね。白黒の碁石やオセロゲームに色をつけたところで、囲碁の面白さは変わらないでしょ? それはビデオゲームにも同じことが言えます」(バーチャルボーイ通信より)
余談ですが、『バーチャルボーイ』の名付け親は糸井重里氏だといわれることがありますが、これは完全に間違いで、本人が否定しています。

サングラス式を目指すも最終的に高床式に
ゲーム機としては珍しく、というか、唯一といってもいいのが、高床式のデザインになっているところです。実は開発当初は現在のARグラスのようなサングラス程度のディスプレイを目指していました。しかし、当時の技術ではどれだけ頑張っても実現することができなかったため、軽いゴーグルタイプに変更されています。
こちらも現在のVRヘッドマウントディスプレイのように頭に取り付けるスタイルにしようとしたところ、電波漏れの問題が発生。また、頭に付けたスタイルにしてしまうと、子どもが遊んでいるときに事故が起きてしまう可能性もありました。

「高速のCPUを使うために、太いケーブルを使わない限り、強力な電波が漏れる。そんなわけでディスプレー側に本体機能を付けることになり、結局コントローラーの方には何が残るのかというと電池ぐらいです(笑)」(バーチャルボーイ通信より)








バーチャルボーイのスペック
CPU | NEC カスタムV810(20MHz) |
メモリー | 1MB |
SRAM | 512KB |
画面 | 384×224ドット |
サウンド | 16ビットステレオ 波形メモリ音源5ch+ノイズ1ch |
電源 | 単3電池6本使用 |
発売前から評判は微妙……タイミングの悪さも重なる
よく、この『バーチャルボーイ』をたとえるときに、「早すぎた」とか「時代を先取りしすぎた」といったキーワードで語られることが多いのですが、現在でも『PlayStation VR』などのVRゴーグルデバイスがあまり人気がないことを考えると、時代と関係なくそもそも売れないデバイスと考えたほうがいいのかもしれません。
本機が発売される前の雑誌『じゅげむ』創刊号にも『バーチャルボーイ』の記事が組まれていましたが、ここでも「前評判があまりかんばしくない」と書かれています。また、同時期に発売された雑誌の記事でも、紹介はされているもののあまり熱は入れられていません。


『バーチャルボーイ』がいまいち振るわなかった理由のひとつに、発売前にメディアにより健康被害の影響があるのではないかと報道されたといわれています。こちらについては、いろいろとリサーチしたものの情報源を見つけることはできませんでしたが、たしかにこうした報道があったとしてもおかしくはなさそうです。
これは現在のVRでも同じですが、小さい子どもがこうしたデバイスを利用すると斜視になってしまう恐れがあると言われています。おそらくそうしたことに関係する報道が行われたのかもしれません。
もうひとつ最悪のタイミングが重なったのが、ちょうど『バーチャルボーイ』が発売されるのと同じ月の1995年7月1日よりPL法が施行されたことです。これにより、利用者が製造物の欠陥によって被害を受けた場合に、過失の有無にかかわらずメーカーが責任を負わなければいけなくなるという法律です。
先ほどの健康問題ともリンクしている話しですが、このPL法に対応するために、ゲームのパッケージにはでかでかと注意事項が記載されるようになったほか、ゲームを起動すると一定時間が経過したときに、休憩を取るための自動ポーズ機能をONにするかといったアナウンスも表示されるようになりました。



これも現在のVRコンテンツと共通している部分でもありますが、実際にゴーグルを覗かないとその違いが体験できなかったため、宣伝がしにくかったという部分も売上げに繋がらなかった理由のひとつとなりそうです。
『バーチャルボーイ』が発売されたタイミングは、前年に当時次世代機と言われていた『PlayStation』や『セガサターン』が発売。翌年には、任天堂の新型ゲーム機である『NINTENDO64(発売前はウルトラ64と呼ばれていた)が発売されるという、ちょうどスキマのタイミングでもありました。
ライバルはともかく、ここでも大きく影響を受けたのが内部の問題です。『バーチャルボーイ』は、ほとんどのゲームがセル画を重ね合わせたような視覚体験に近いものの、基本的には「3D」をウリにしたマシンです。
また、翌年発売される『NINTENDO64』も、シリコングラフィックス社と提携して開発が行われた、3Dグラフィックがウリのマシンでした。少し方向性が異なるものの同じ3Dです。そうしたこともあってか、当時の山内溥社長から、 「マリオをあまり使うな」といわれたという噂もあります(※FastCompanyの記事より)。
これは『NINTENDO64でマリオを3Dデビューさせたいという思惑があったようですが、結果的に『バーチャルボーイ』で発売されたマリオのゲームは『マリオズテニス』と『マリオクラッシュ』の2本にとどまっています。

横井氏はバーチャルボーイ失敗の責任を負って任天堂を退社したわけではなかった
横井氏が30年以上務めた任天堂を退社したのは、1996年8月15日でした。これまで『ゲーム&ウオッチ』や『ゲームボーイ』など、数々のヒット作をこの世に生み出してきた功労者でもあるため、前年に発売された『バーチャルボーイ』の失敗や、発売されたばかりではあるもののあまり売れ行きが芳しくなかったNINTENDO64の責任を取って退社したと噂されることもありました。

バーチャルボーイ売れなかったね。あと、NINTENDO64も

いや、64は宮本が……

売れなかったね、どうするの!?

じゃ、辞めます
といったような経緯で辞めたんじゃないかといわれてしまいがちですが、そうした事実は実際にはなかったようです。
横井氏自身は文藝春秋の平成八年十一月号の中でみずから筆を取り、そうした噂を一蹴しています。また、書籍『ゲームの父・横井軍平伝』の中でも、任天堂で何か企画をするときは売上げが何千億円の商品でなくてはならないため、50歳を過ぎたら小回りの効く仕事をしたいという思いも語っています。

実際には、私は「『バーチャルボーイ』失敗の責任をとって」辞めたわけではありません。前々から五十五歳になったら、独立したいと考えていました。ですから、任天堂を恨んだり、憎んだりといった感情は全くと言っていいほどありません。また、『NINTENDO64』は、直接私の担当ではありませんから、私の退社と結び付けるべきことでもありません。(文藝春秋の平成八年十一月号より)

その後、横井氏は大ヒットとなった『ゲームボーイポケット』を置き土産にした後で任天堂を退社し、9月には株式会社コトを設立。バンダイから1999年3月4日に発売された携帯ゲーム機『ワンダースワン』の開発にも携わっていましたが、その日の目を見ることなく1997年10月4日に北陸自動車道で起きた事故により、この世を去ってしまいます。
生前横井氏は、任天堂を退社した後で、これまで出来なかったものを商品化していくという夢を持っていましたが、今なお健在ならどんな素晴らしい商品がこの世に出ていたのかというところも気になりますね。

これから、私が世に出していくものには任天堂時代、私が考えながら商品化出来なかったものがたくさんあると思います。しかし、これは任天堂と対峙するということではなく、本当に売れそうなら任天堂に頼んで売ってもらうこともある、という開発です。現に、辞めるに当たって、山内社長にも、そういう場合は協力していただくようにお願いしました。(文藝春秋の平成八年十一月号より)
ちなみに、株式会社コト自体は現在も続いており、横井氏の意志を引き継いだ製品を提供し続けています。
●株式会社コト
https://www.koto.co.jp/

バーチャルボーイゲームカタログ
『バーチャルボーイ』が発売された1995年7月21日から12月22日まで、日本国内で発売されたタイトルは19本。そのうち5本がローンチタイトルに選ばれています。こちらはその中から、11本のタイトルをご紹介してきます。

ちなみに今回絵を撮るのに使用したのが、ニンテンドー3DSで動かすことができる『バーチャルボーイ』エミュレーターの『RED VIPER』です。本体の改造は必要ですが、このエミュレーターとニンテンドー3DSの愛想が素晴らしいレベルで良く、裸眼で『バーチャルボーイ』をのぞき込んだときと同じ映像を楽しむことができます。
この点においては、『Meta Quest』などのVRゴーグル向けにリリースされているエミュレーターよりも、遥かに優れているといえます。ただし、ひとつだけ残念なポイントは、目では見えるものの、静止画や動画では、この裸眼立体視は実際に見ているようには映し出すことができないというところです。
そこで今回は、『RED VIPER』で用意されているアナグリフの表示を活用し、赤青メガネをかけてゲームで表示している立体視が楽しめるようにもしています。

ちなみに筆者が所有している本体とソフトは、時期はあまり覚えていないもののおそらく終売が決定した1996年に船橋にあったトイザラスで、ソフト6本付き5000円+ACアダプタタップ付きで購入したものです。それに加えて、同じ時期に西新宿のラオックスでもワゴンセールで1本30円ほどで売られていたので、そちらも入手しています。
最近手に入れたのは『マリオクラッシュ』と『インマウスの館』ですが、後者以外はすべて新品で入手しています。実は今でも秋葉原の駿河屋などで新品が売られていることもあるので、興味がある方はそちらで入手するのもありかもしれません。

『バーチャルボーイ』のソフトをエミュレーターで動かすためにはROMを吸い出す必要がありますが、手段はいくつかあるものの手っ取り早いのはダンパーを使うことでしょう。例をあげると、Save the Hero Buildersの『カートリッジリーダー』とアダプターなどがあります。
ただし、こちらはアダプターを自分で組み立てる必要があるため、少々面倒かもしれません。
●Save the Hero Builders公式サイト
https://savethehero.builders/
●VIRTUAL BOY adapter DIY Kit set(Save the Hero Builders)
https://savethehero.builders/en-jp/collections/cartridge-adapters/products/virtual-boy-adapter-diy-kit-set
●家電のケンちゃん:【即納】Cartridge Reader専用VIRTUAL BOYアダプタキット【VB-SFC Adapter】
https://www.kadenken.com/view/item/000000001557?category_page_id=doujin
それとは別に、Gamebank-web.comkから『VB Dumper V3』と呼ばれる製品も発売されています。こちらはUSBで挿すだけで簡単にPCにマウントして吸い出すことができるので、楽かもしれません。

マリオズテニス(任天堂) 1995年7月21日発売
マリオのほか、ルイージ、ヨッシー、キノピオ、ノコノコ、ドンキーコングJr.、ピーチ姫といった、任天堂のおなじみのキャラクターたちが登場するテニスゲームです。ゲームモードとしてはシングルスとダブルス、そして勝ち抜き戦のトーナメントモードが選べるほか、難易度もEASY、NORMAL、HARDの3種類から選択することができます。



特にゲームを始めたばかりの時は遠近感やタイミングなどが掴めず、1ゲームも取れずに終わってしまうことがありますが、操作に慣れてくるとだんだん面白さが増していきます。シングルスまたはダブルスのどちらかで優勝するとスペシャルモードに入るコマンドが表示され、さらに上の難易度に挑戦することもできます!
興味がある人は、以下のコマンドを入力しても挑戦することができます。
タイトル画面でL+L+R+L+R+セレクト




ギャラクティック・ピンボール(任天堂) 1995年7月21日発売
その名の通り、宇宙空間のなかで巨大なピンボールを遊んでいるかのような不思議な体験ができるのが『ギャラクティック・ピンボール』です。コスミック、コロニー、UFO、エイリアンというこれまた宇宙をテーマにした4つの台が用意されています。






ジャックポットでハイスコアを狙ったり、ボーナスルーレットや文字ターゲット、エクストラパックなど、台によって異なるギミックで、その変化が体験できるのもこのゲームの面白いところです。



テレロボクサー(任天堂) 1995年7月21日発売
テレロボクサーと呼ばれる、遠隔操作のロボット同士でボクシングを行っていくゲームがこちらの『テレロボクサー』です。ゲームの基本は、パンチとガードを駆使しながら相手にダメージを与えていくこと。一人称視点でパンチが飛び交うので、なかなか迫力のあるアクションが楽しめます。




必殺技で強力な一発を相手にぶち込むことができるほか、登場するライバルたちも、ひと癖もふた癖もある技でこちらを攻めてきます。対戦者は全部7人。すべての敵を倒して、チャンピオンを目指しましょう!



レッドアラーム(T&E SOFT) 1995年7月21日発売
『バーチャルボーイ』で発売されたゲームの多くは、VRといってもセル画を重ねたような奥行き感の違いが感じられる程度の立体映像が楽しめるものばかりですが、この『レッドアラーム』は本格的なワイヤーフレームで映像が表現されたシューティングゲームです。



上に行こうとしたら下方向に行ってしまったなど、正直初見プレイではかなり操作に戸惑うこともあったり、画面に表示されているものが敵なのかなんなのか判別するのもわかりにくい部分もあるため、ある程度慣れが必要です。
とはいえ、ここまで本格的なワイヤーフレームのシューティングゲームはそうそうないため、一見の価値はあります。



とびだせ!ぱにボン(ハドソン) 1995年7月21日発売
PCエンジンやスーパーファミコンなどで発売された落ちモノパズルゲームの『ボンバーマン ぱにっくボンバー』を移植したタイトルが、こちらの『とびだせ!ぱにボン』です。対戦はコンピューターとのみで、基本的には同じ図柄のブロックを3つ縦または横のいずれかに並べると消していくことができます。




通常の図柄とは別に爆弾が降ってくることもありますが、その中でも火が付いた爆弾は他の爆弾を誘爆して一気にブロックを消し去ることができます。ゲームは全部で4つのステージが用意されており、それぞれラストにはボス戦も楽しむことが可能。お気楽に楽しめるパズルゲームとしてもオススメの作品です。



T&E ヴァーチャルゴルフ(T&E SOFT) 1995年8月11日発売
数々の3Dゴルフゲームを作ってきたT&Eソフトによる作品が、こちらの『T&E ヴァーチャルゴルフ』です。打つ方向やクラブの種類、打ち込むときのパワーなどおなじみの要素に加えて、最後にボールのどこを打つかによってスピンが変化。このタイミングが絶妙で、毎回ドキドキのプレイが楽しめます。




ゴルフゲームは若干敷居が高く感じることがありますが、本作に関しては比較的遊びやすくなっており、初心者でもすぐに操作に慣れるような作りです。用意されているモードは「ストロークプレイ」と「トーナメントモード」の2種類。全18ホールでゴルフを楽しみましょう!



バーチャルプロ野球’95(コトブキシステム) 1995年8月11日発売
実在するプロ野球チーム12球団に加えて、ケムコ・リーグというオリジナル球団を含めた全18チームによる野球ゲームが楽しめるのが、こちらの『バーチャルプロ野球’95』です。用意されているゲームモードは全部で3種類。コンピューターと1試合のみ戦うオープン戦に、ミニペナントレース、オールスターが選べます。


収録されている球団名はもちろんのこと、当時は日本の球団で活躍していた松井やイチロー、新庄といった選手たちも含まれており、現在の視点でプレイすると思わずニヤリとさせられます。


『バーチャルボーイ』ならではの癖もあり、バッティングとピッチングはそれぞれに慣れが必要。ピッチングは少し変わったスタイルになっており、画面上に表示されるバーで投げる速度が変化します。バッティングのほうはタイミングを合わせるのが最初は難しく感じるかもしれません。とはいえ基本は一般的な野球ゲームを踏襲しているので、それほど迷うこともないでしょう。



バーティカルフォース(ハドソン) 1995年8月12日発売
地上と上空という、『バーチャルボーイ』の視覚的な遠近感の違いが体験出来るシューティングゲームが、こちらの『バーティカルフォース』です。プレイヤーは自機を操り機械神ミッドガルを倒すというのがゲームの目的となっています。




この地上と上空の切り替えはプレイヤーの任意で行うことが可能。例えば上空で戦闘中に弾幕が飛び交ってきたときに、地上に移動して避けるといったプレイもできます。この手のシューティングゲームではおなじみのオプションも付けていくことができますが、こちらはAIが採用されており状況に合わせた攻撃をしてくれるというのも本作の特徴となっています。



V・テトリス(BPS) 1995年8月25日発売
この『V・テトリス』は、おなじみ元祖落ちゲーともいえる『テトリス』をベースに、3つのゲームモードが遊べる作品です。「MODE-A」は、もっとも一般的な『テトリス』が遊べるモードで、テトリミノが一番上まで積み上がらない限り、ずっと遊び続けることができます。


「MODE-B」は、25ライン消すごとにレベルクリアとなるモードです。おじゃまブロックなども登場し、「MODE-A」とはひと味違う遊びが楽しめます。最もユニークなモードが「MODE-C」です。こちらは画面に表示されている横10列のラインだけではなく、全部で20列が並んでいるような作りになっています。


画面を左右に移動することで、1ラインずつズラして表示することができるというのが特徴となっています。ラインを消すことができるのは画面上に表示されている横10列のみですが、これを利用して攻略できるのが面白いですね。



マリオクラッシュ(任天堂) 1995年9月28日発売
『バーチャルボーイ』では、2本しかないマリオをフィーチャーソフトのひとつ。ゲームのモチーフになったのは、懐かしの『マリオブラザーズ』です。ステージ内に登場するノコノコの上に乗って気絶させたあと、そちらを投げつけてステージ上に登場する敵を倒せばクリアというシンプルな内容になっています。



このゲームのステージには奥と手前の通路があり、それぞれ土管を通って移動することが可能。ノコノコをドカン越しに投げつけることもできます。登場する敵によっては、複数回ノコノコを当てなければいけないものがあるなど、ステージが進んでいくごとに難易度も徐々に上がっていきます。



インスマウスの館(アイマックス) 1995年10月13日発売
クトゥルフ神話をベースに、「インスマウス」と呼ばれるモンスターたちが徘徊する館からの脱出を目指すアドベンチャーゲームが、こちらの『インマウスの館』です。ゲーム性としては3Dダンジョンとシューティングゲームを合わせたようなスタイルになっており、3次元のマップ上を移動しながらアイテムを集めていき、途中で出会う敵を銃で倒していくといった内容になっています。


マップ上には「タゴンの鍵」と呼ばれるアイテムがどこかに落ちており、これを拾って出口にいくことで次のフロアに移動することができます。オートマップにも対応しているほか、白いオーブを入手することでフロア全体が見えるようになるなど、便利なアイテムも入手することができます。

フロアのクリア時間によって、次に移動するフロアも変化。チャートも合わせて表示されるため、どのルートを通っているのかも確認できるようになっています。また、ひとつのフロアを攻略するとパスワードが表示されるので、次回以降はそちらを入力することで続きをプレイすることが出来ます。





スペーススカッシュ(ココナッツジャパンエンターテイメント) 1995年9月28日発売
準備中
ジャック・ブラザースの迷路でヒーホー!(アトラス) 1995年9月29日発売
準備中
バーチャルフィッシング(パック・イン・ビデオ) 1995年10月6日発売
準備中
バーチャルボーイワリオランド アワゾンの秘宝(任天堂) 1995年12月1日発売
準備中
スペースインベーダー バーチャルコレクション(タイトー) 1995年12月1日発売
準備中
バーチャルLAB(J・ウイング) 1995年12月8日発売
準備中
バーチャルボウリング(アテナ) 1995年12月22日発売
準備中
SDガンダム DIMENSION WAR(バンダイ) 1995年12月22日発売
準備中
飛行中でも見られるいいアイデアはないかな……あっ!