4月1日に、念願のゲーム機『ピピン・アットマーク』を入手することができました。本機を紹介するときに、必ず語られるのが全世界で4万2000台しか売れなかった話題です。当初は国内で30万台、ワールドワイドで20万台の販売を見込んでいたそうですが残念ながらその目論見は大きく外れてしまいました。
筆者もゲームショップでは見かけたことがなく、たしかどこかのデパートで置かれていたときに、リアルな野球ゲームを遊んだ記憶がある程度です。そこでこちらでは、実機と当時の資料を読み解きながら、本機がどのような位置づけでどのような機能を持ったハードウェアであったのか掘り下げていきたいと思います。
ゲーム機というより家庭向けマルチメディア・プレイヤーを目指して誕生したピピン
日本では1996年3月28日に、海外では『pippin@WORLD』という名称で1996年9月1日に発売された『ピピン・アットマーク』。バンダイが提案し、アップルコンピュータが開発と提供を行うマルチメディア・プラットフォームとして名付けられた規格「PiPPIN(ピピン)」でした。
これは、当時のアップルのコンピューターに名付けられていたりんごの種類である「Macintosh」より一回り小さく、青いりんごの種類から名付けられたものです。
ガンダムブームの仕掛け人がプロジェクトを牽引
『ピピン・アットマーク』が発売される前の1996年1月22日行われた、当時バンダイ・デジタル・エンタテインメントの取締役であった鵜之澤伸氏への取材記事が、日本版『WIRED』の1996年4月号に掲載されています。バンダイビジュアルの立ち上げに参画し、『機動戦士ガンダム』ブームを起こした人物として知られていた鵜之澤氏。デジタルコンテンツにのめり込んでいったきっかけとなったのは、元々Macユーザーでモノクロフロッピーディスク版の『Manhole』に出会ったことだったと記事では紹介されています。
この頃はパソコンにCD-ROMドライブが搭載されるようになった時代で、それまで実現が難しかった動画などのコンテンツも盛り込めるようになったことから、「マルチメディア」と呼ばれるキーワードが謳い文句として多用されていました。
当時の社長だった山科誠氏の自宅にMacを持ち込んで、マルチメディアタイトルに対する熱い思いと可能性を説いていたとい鵜之澤氏。その後、バンダイからも『ジャーニーマン・プロジェクト』や『ALex World』、『機動警察パトレイバー・Digital Library』といったマルチメディアコンテンツが発売されることになりました。
アメリカではすでに「マルチメディア」コンテンツの市場が出来上がっていましたが、日本ではまだまだ1万枚も売れれば大ヒットといわれる時代。アメリカとは異なり日本ではPCへのハードルが高かったこともあり、誰でも使えて面白いと思える新しいコンセプトを持ったマルチメディア・プラットフォームが必要でした。
1993年頃、アップルと東芝と進めていたマルチメディア・プレイヤー『SweetPEA』の開発が、OSの規格が決まらず頓挫したという話を耳にしていた鵜之澤氏。元々ゼロから新しいアーキテクチャを作る気はなく、使いやすいMacOSがあるのになぜ新たに作る必要があるのかと考えていました。Macをベースにすることで、コンテンツの移植も簡単になるということから、このアイデアを推し進めていくことになります。
チャンスが訪れたのは、1994年の1月でした。サンフランシスコで行われた「MacWorld」でバンダイ社長の山科氏とアップルで情報家電のプロジェクトを担当していたガストン・バスティアン氏を引き合わせることに成功した鵜之澤氏。同年2月に千葉県・幕張メッセで開催された「WorldExpo」で、アップル副社長だったサジーブ・チャヒル氏とより具体的なプランについて話しあっています。さらに同年5月にはイアン・ダイアリー上級副社長にプレゼンテーションも行われています。
ちょうどこの頃アップルは業績が低迷しており、身売りの噂も絶えませんでした。1994年に互換機ライセンスを開始したアップルですが、1995年にいくつかのメーカーから発売され日本でも入手が出来る状態でしたが、その後すぐに尻つぼみに終わっています。
バンダイは、アメリカで『パワーレンジャー』が大ヒットしていたことから知名度もあり、上記のようにアップルがMacOSのラインセンシングに方向転換しようとしていた時期であったことから、完全な状態のMacintoshではないものの、実質的にはMacOSがライセンスされた初めてのマシンとなりました。
インターネットブームに乗ってNCへと方向転換
上記の経緯もあり、元々マルチメディア・プレイヤーとして誕生していたことから当初は『ピピン・パワープレイヤー』という名称が付けられていました。その後、1995年あたりから一般家庭でもインターネットが利用できるようになりはじめ、その急速的な発展と共に低価格な500ドルで買えるPCとして、「ネットワーク・コンピュータ(NC)」と呼ばれるものが提唱され始めます。ピピンもそれに合わせて方向を転換。名称も「@(アットマーク)」を付けた『ピピン・アットマーク』へと変更されています。
こうして壮大な野望の元生まれた『ピピン・アットマーク』でしたが、残念ながらマルチメディア・プレイヤーとしてもNCとしても認知されることなく、1997年5月12日には製造を中止。累計損失は約260億円という残念な結果に終わってしまいました。
ちなみに、上記の動画のコメントに「バンダイとジョブズ不在のAppleとかいう最悪のコラボ」と書かれていますが、この時期スティーブ・ジョブズはアップルを首になり、NeXTという会社を興して現在のMacOSの基礎となった『NEXTSTEP』を開発していました。彼が復帰後の、アップルの大躍進は皆さんご存じの通りです。
未発売に終わったアップルの『ピピン・セットトップボックス』
残念ながらリリースされることはありませんでしたが、アップル内部で開発倍されたプロトタイプがありました。こちらはゲームコンソール機としての機能に加えて、衛星受信機とDVD-Rドライブが組み合わされています。
半透明のパネルを開くことで、スマートカードへのアクセスやAppleJack、オーディオ端子などにアクセスすることができます。CPUもPowerPC 603e 120MHzにアップグレードされていると思われます。
しかし、1997年3月に行われた大量解雇とともに、アップルは自信が今後ピピンを製造する計画はないと発表しています。こちらは発売されていたら、それなりのコレクションアイテムになっていたかもしれませんね!
『ピピン・アットマーク』のハードウェア
当時のMacintoshの廉価機程度のスペックはありそうな、『ピピン・アットマーク』ですが、あらかじめモデムが同梱されており、すぐにでもネットワークが楽しめるというのがウリでした。こうしたコンセプトは、1998年11月27日にセガから発売された『ドリームキャスト』でもありましたが、それよりも1年半以上早かったということになります。
ちなみに『ATMARKフロッピーユニット』などオプションもいろいろと用意されており、それらを揃えてしまうと、それこそ安いMacintoshが買えてしまう値段になるという、若干本末転倒な仕様になっていたようです。
CPU:PowerPC603 66MHz
RAM:6MB(最大13MBまで拡張可能・VRAMとして1MB使用)
CD-ROMドライブ:4倍速
映像出力:VGA、NTSC、PALの切り替えが可能
モデム:14,400bps
ROM:4MB
RAMスロット:1基
拡張スロット:PCI準拠スロット、メモリー拡張スロット
インターフェイス:VGA出力、S映像出力、ビデオ出力、ステレオサウンド入出力(L/R)、プリンターポート、モデムポート(Geo Port)、ステレオPHONE端子、P-ADB端子
映像サイズ:640×480ドット(最大3万2768色)
サウンド:16ビットステレオ入出力
サイズ:H89×W228×D257
重さ:約3.5kg
付属ソフト
付属ソフトには、『DISK 6 vol.1』という6枚組のCD-ROMがパッケージになったものが同梱されています。基本的に何かしらのソフトを入れた状態でないと、CD-ROMを入れることを即すアニメーションが流れるだけで、この本体だけでは何もすることができません。
また、付属ソフトもPPP接続(ダイヤルアップ接続)のものが多く、これで出来ることは現状ではほとんどありません。
■Pipin Navigator CD
こちらのソフトを使うことでピピンの使い方や本体のデータ管理、時計や初期化などの設定が行えます。
■Pipin Network CD
ネットワークの設定を行うためのソフト。
■テレビワークス
ワープロやペイントソフト、メールが行えるビジネスソフト寄りのコンテンツ。シンプルな内容ですが、かなり重ため。
■INTERNET KIT
昔懐かしいブラウザ『Netscape Navigator』のVer1.12を利用して、インターネットサーフィン(死語)が楽しめる!?
■Franky Online
ハイパーメディアクリエイターの高城剛氏率いるフューチャーパイレーツのオンラインコンテンツ。たしかキャラクターを操りバーチャルな世界でショッピングが楽しめるような内容だった記憶があります。
■ATMARK TOWN
こちらはバンダイが運営するオンラインコンテンツ。3Dの街を歩き、メールやチャット、フォーラム、ニュース、ゲームなどが視覚的にわかりやすい形で提供されていた。
上記のソフトとは別に、『Pipinタイトル CD-ROMカタログ』というソフトウェアカタログも付属していました。これが一番楽しめたかもしれません。下記の動画で一通り紹介しているので、お暇な方はチェックして見てください。
Macintoshのソフトがピピンでも動くという話しは本当か?
ウィキペディアに掲載されているピピンの項目に、「ピピンアットマーク用ゲームの他にMacintosh用ゲームも遊べる」という一文が書かれており、実は『ピピン・アットマーク』に筆者が一番期待したのがこの部分でした。そこで、現在所有している『MYST』『UFOs ARE REAL』『STAR TREK THE NEXT GENERATION INTERACTIVE TECHNICAL MANUAL』『gasbook』という4本のソフトを試してみることに。
結論としては、これらはすべて『ピピン・アットマーク』では残念ながら動かすことができませんでした。ソフトにもよる可能性もありますが、後述する理由から通常のMacintosh用ソフトのほとんどは遊べないのではないかと思われます。
ただし、ハイブリッドとして発売されていたソフトウェアは存在したようなので、その場合は両プラットフォームで遊ぶことができます。
ビデオCDも残念ながら非対応
一縷の望みをかけて、手持ちのビデオCDが再生できるのではないかと期待したのですが・・・・・・こちらはCDとしては認識してCDプレイヤーは起ち上がるものの、映像の再生までは行えませんでした。
逆にMacならピピンのソフトは認識出来るのか?
ということで、中古のiBook G3 クラムシェルモデルを入手。試しに、ピピンのソフトを読み込ませてみることにしました。ディスクをセットすると、デスクトップにアイコンが表示。この時点で問題なくメディアの認識が行えています。
ちなみにピピンに採用されいているOSは、「System7.5.2」がベースと言うことで日本向けOSでいうと「漢字Talk7.5.2」相当となります。今回入手したiBookには「MacOS8.6」がインストールされており、若干の互換性面で心配があります。
早速アプリをクリックしてみると・・・・・・なんということでしょう! 問題なく起動して、中身も閲覧することができました。つまり、ピピンのアプリ自体はMac側で動かせるモノが多そうという結論になりそうです。
専用ソフトだけが動くピピンの仕組み
リリース前に、350を超える企業がディベロパー登録を済ませており自社を含めて130のタイトルが初年にリリースされる予定でしたが、どうやらすべてのソフトが発売されたわけではないようです。
『ピピン・アットマーク』は、認証されたソフトウェアのみを実行するように設計されています。日本で発売された『ピピン・アットマーク』のソフトには、正方形のプラットフォームロゴが付けられており、基本的にこれが付いたソフトウェアしか動かすことができません。
『ピピン・アットマーク』にCD-ROMソフトを入れて最初にブートするときに、固有の認識ファイルのチェックが行われます。これが無効であるときに、CD-ROMが排出されてしまいます。
この認証ファイルは開発者だけが作れるものですが、アップルは当然のことながらすでにピピンのサポートは行っていません(ドングルなどのハードも必要)。一部、独自開発を行おうとする試みもありますが、全世界で4万2000台しか売れていないハードであるがゆえに、狭いニーズしかないのでなかなか広まらないというのが現状といったところでしょうか。
どうやらこの認証ファイルのありなしがMacのソフトとの違いのようですので、両対応のソフトを作ること自体は、当時は簡単だったと思われます。
参考サイト:Hacking the Pippin
http://archive.retro.co.za/mirrors/68000/www.vintagemacworld.com/pip1.html
ピピン・アットマークのソフトリスト:List of Pippin titles | Pippin @World & Atmark Wiki | Fandom
https://pippin.fandom.com/wiki/List_of_Pippin_titles
まとめ:家庭用ゲーム機の皮を被ったMacだが皮が厚すぎたのが残念
というわけで、いろいろと実機をいじってみたわけですが、現状では専用ソフトを遊ぶ以外はほとんどなにもすることができないハードウェアとなってしまっています。ソフト自体に魅力的なタイトルが少なく、とくに『ピピン・アットマーク』で遊ばなくても他でもリリースされていたりするため、あえて探すのが難しいこのプラットフォームを選択する理由がありません。
セキュリティ面がしっかりしていることは素晴らしいのですが、現状はそれがあだとなりカスタマイズ性もあまりなく残念なマシンになってしまっています。
これから本機の購入を考えている人は、実用面よりもコレクション性を重視した方がいいかもしれません。