1997年に発売され、現在も世界的な人気を誇る『Grand Theft Auto』(GTA)シリーズ。その大きな特徴といえば、広大な街を自由に移動しながらミッションをこなしていくオープンワールド形式のゲームシステムです。
しかし、実は初代『GTA』は、当初からこうした自由度の高いゲームとして開発されていたわけではなかったようです。
2026年9月25日にスコットランドのダンディーで開催されたゲーム業界向けイベント「Games Day 2026」で、初代『GTA』を手掛けたDMA Designの元開発スタッフたちが登壇。当時の開発秘話を振り返る中で、シリーズを象徴するオープンワールド形式が生まれた意外な理由が明かされました。こちらは、海外メディアのVGCが10月7日に報じたものです。
オープンワールドになったのは、メニューを作りたくなかったから!?
今回のイベントでは、「GTA Origins panel」と題した座談会が開催されました。登壇したのは、DMA Designの共同創業者Dave Jones氏をはじめ、Colin Anderson氏、Mike Dailly氏、当時リードプログラマーを務めたKeith Hamilton氏らです。司会は、クリエイティブディレクターを務めていたGary Penn氏が担当しました。
Penn氏によると、初代『GTA』は開発初期の段階では、現在知られているようなオープンワールド形式ではなく、メニュー画面からミッションを選択して進めていく、より直線的なゲームとして構想されていたそうです。
ところが、なぜ自由に街を移動できる形式へと変更されたのでしょうか。この疑問に対してHamilton氏は、当時の開発チームがフロントエンド、つまりゲーム開始時などに使用するメニュー画面を作りたくなかったことが理由だったと説明しています。
そこで、メニューからミッションを選択する代わりに、ひとつのゲーム空間をそのまま遊び続けられる仕組みを採用したというわけです。現在ではオープンワールドを代表する作品として知られる『GTA』ですが、その原点には、メニュー画面の制作を避けたいという、開発現場ならではの事情があったようです。
もっとも、これはあくまでも当時の開発者が振り返った理由のひとつです。結果として、ゲームの遊び方そのものを大きく変える決断になったことは間違いないでしょう。
電話でミッションを受ける仕組みは映画『ダイ・ハード3』がヒントに
初代『GTA』では、街中に設置された電話に出ることでミッションを受けることができます。実は、この仕組みには1995年公開の映画『ダイ・ハード3』が影響していたそうです。座談会ではPenn氏が電話を使った映画について話題を振り、Hamilton氏が『ダイ・ハード3』だったことを確認しています。

映画では、主人公が電話などを通じて犯人から指示を受け、街中を移動しながら課題に挑んでいきます。こうした演出をゲームに取り入れることで、わざわざメニュー画面に戻らなくても、街を探索しながら自然な流れでミッションを開始できるようになりました。
単にメニューを省略しただけではなく、ゲーム世界そのものにミッションを組み込む仕組みが生まれたことも、初代『GTA』の特徴につながったようです。
警察は本当に警察署から出動! 見えない部分にもこだわっていた
今回の座談会では、ほかにも初代『GTA』に関する興味深い開発秘話がいくつも紹介されています。たとえば、プレイヤーが犯罪を犯した際に流れる警察無線です。ゲーム中では警察が犯罪に関するコードを読み上げますが、これは単なる雰囲気作りのためのランダムな音声ではありませんでした。
実際にゲーム内部で管理されている犯罪のリストと連動しており、プレイヤーが起こした犯罪をリアルタイムで反映していたそうです。さらに、プレイヤーを追跡する警察車両にも、意外な仕組みが用意されていました。
警察車両はプレイヤーの近くに突然出現するのではなく、実際に警察署から出発して、プレイヤーのいる場所まで移動するようになっていたというのです。こうした処理はプレイヤーからはほとんど確認できませんが、開発チームは見えない部分でも街の動きをシミュレーションしていました。
また、ゲーム内の信号機も正しい順序で切り替わるように作られていたそうです。Hamilton氏は、その制作に力を注いだにもかかわらず、信号を守って停止していたのは自分だけだったと冗談交じりに振り返っています。
このほかにも、救急車が駆けつける仕組みを作ったところから、救急車を盗める機能、警告灯を点灯させる機能、周囲の車が道を譲る機能へと、次々にアイデアが広がっていったというエピソードも明かされました。
目的地への案内は、当初ウインカーを使う予定だった!?
ゲーム内のナビゲーションについても、興味深い試行錯誤があったようです。初代『GTA』では、目的地への方向を示すために大きな黄色い矢印が表示されます。しかし、開発初期には車の方向指示器、いわゆるウインカーを使って進行方向を案内するアイデアが検討されていました。
ところが、この方法には問題がありました。ゲーム中で車がダメージを受けると、方向指示器が正常に機能しなくなってしまったのです。そのため、最終的には複雑な仕組みを諦め、大きな黄色い矢印を表示する方式へと変更されました。
現在では当たり前のように感じられるゲーム内の案内表示も、こうした試行錯誤の結果として生まれたものだったようです。
初代『GTA』はNINTENDO64でも発売されていたかもしれない?
さらに、任天堂との意外なエピソードも明かされています。初代『GTA』はPCやPlayStationなどで発売されましたが、今回の座談会では、NINTENDO64向けの展開を巡る話題にも触れられました。
当時、開発チームが頭を悩ませていた要素のひとつが、ゲーム内で流れるラジオ放送です。『GTA』では車を運転中にさまざまな音楽を楽しめますが、NINTENDO64はCD-ROMではなくROMカートリッジを採用しています。
そのため、CDの音楽データを利用できない環境で、どのようにラジオを実現するのかという問題がありました。ところが、任天堂が『GTA』の採用を見送ったことで、開発チームはこの問題に取り組まずに済むことになり、内心では安心していたそうです。
さらに、DMA Designの共同創業者Dave Jones氏は、後年、任天堂の宮本茂氏と会話した際のエピソードも紹介しています。Jones氏によると、宮本氏はNINTENDO64向け『GTA』について、採用しておけばよかったかもしれないと冗談交じりに話したということです。
もちろん、これはJones氏が当時の会話を振り返ったものであり、宮本氏本人が今回の座談会で発言したわけではありません。もしNINTENDO64版『GTA』が実現していたら、どのような作品になっていたのでしょうか。レトロゲームファンにとっては、思わず想像が膨らむエピソードといえそうです。

偶然のアイデアが世界的人気シリーズの原点に
現在の『GTA』シリーズは、広大なマップを自由に探索できるオープンワールドゲームの代表格として知られています。
しかし、その原点をたどると、メニュー画面を作りたくなかったという事情や、映画からヒントを得た電話によるミッション受注など、意外な経緯があったことがわかります。
また、プレイヤーには見えない警察車両の移動処理や、現実の街を意識した信号機の仕組みなど、初代作品の時点ですでにさまざまな工夫が凝らされていたことも印象的です。
約30年を経て当時の開発者たちが語ったエピソードは、初代『GTA』がどのように現在のシリーズへとつながっていったのかを知るうえで、非常に興味深いものとなっています。
via.VGC













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