【90年代PCゲーム男】丸々2年間1日も休まずにプレイし続けた名作RTS『スタークラフト』

【90年代PCゲーム男】丸々2年間1日も休まずにプレイし続けた名作RTS『スタークラフト』

筆者:ども。初心者ですが一緒にまぜてもらってもいいですか~?
DZEの人:おお、いいよ、やろう!
~ゲーム終了後
筆者:ところで、その名前の後ろに付いてる「DZE」ってなんですか?
DZEの人:だぜ~
筆者:ちょっと何言ってるかわからないんですが(笑)

という感じだったかどうだか覚えてませんが、これが筆者の『スタークラフト』(以下スタクラ)のオンラインデビューでした。まぁ、当時はローマ字チャットだったので日本語は使えなかったけど。

ちなみにDZEというのはクラウン名で、その時にふたりほど同じ名前を付けた人たちと一緒に遊んでもらった記憶があります。ふたりとも親切で、その印象が良かったことも本作を遊び続けたきっかけになったといえます。

そもそもの始まりは雑紙の紹介記事

当時、PCゲーム雑紙の編集者をしていた筆者は、ちょくちょく海外から送られてくる洋ゲーの紹介記事を書く機会がありました。その中の1本が、この『スタクラ』だったのです。発売元は、前年の1997年に世界中で大ヒットしたアクションRPG『ディアブロ』をリリースしたBlizzard Entertainment。

同社は『ディアブロ』の前に、RTS(リアルタイムストラテージ)ゲームの『ウォークラフト』をヒットさせており、この『スタクラ』も 『ウォークラフト』をベースに種族をテラン、ザーグ、プロトスの3種類に増やし、舞台も宇宙にした作品として作られていました。

細かい状況は覚えていないものの、この記事を書くときに遊んだゲームが無茶苦茶面白かったということもあり、後に自分でもパッケージを購入して文頭のオンラインデビューへと繋がっています。

この頃、秋葉原のPCゲームを取り扱っているお店をたまたまふらっと覗いたところ、『スタクラ』のパッケージが積み上げられているところに自分が書いた記事が切り抜きでPOPのように飾られており、ちょっと恥ずかしかった記憶があります(笑)。

ちなみに画像は後にソースネクストから発売された、レアな日本語版のもの。

そもそも『スタクラ』ってどんなゲームなの?

最近は『League of Legends』などMOBAが主流になり、すっかり過去のジャンルになりつつあるRTSですが、ざっくりというと下記のようなゲームの流れになっています。

まず初期に用意されている農民キャラクター(攻撃力は低く、主に資源を集める役割を持っている)に資源の収集を指示し、集めた資源で施設やユニットを作成。ある程度ユニットが溜まってきたところで、飽いて陣地に攻め入り全ての施設とユニットを破壊した方が勝利という感じのゲームになっています。

とくにMOBAとの大きな違いは、内政をしなければいけないところ。資源の懐具合を見ながら、いかにユニットを量産していくか考えていきます。また、特定の施設を建てることで初めて作ることが出来る施設があり、それによってより上位のユニットが作れるようになるのです。

このユニットを貯めていくのと、施設をアップグレードしていくというバランスがなかなか難しく戦術にも大きな差が出てくるのです。

まったく異なる3種族のバランスが絶妙

『スタクラ』がユニークだったところは、テラン、ザーグ、プロトスといったそれぞれの種族の特性がまったく異なっていながら、ゲームとしてのバランスが取れていたところでした。

たとえばテランは人類で、守りが堅いのが特徴です。ザーグは、映画『スターシップトルゥーパーズ』に登場するバグズ(巨大な虫の宇宙人)のような風貌で、瞬発力がある代わりに柔らかいといった感じです。プロトスの場合は、完全に進化を遂げた宇宙人で、未来的な機械を駆使して戦っていきます。

それぞれに同じ進化レベルのキャラクターがあるほか、カウンターユニットも用意されており、相手の出方を先読みしながらカウンターユニットを用意して対抗していくというような戦いが日々繰り返されていました。

当時のオンラインゲームの環境は……?

日本でインターネットが家庭向けに普及し始めたのが、1994年~1995年頃。今のような24時間接続しぱなっしのブロードバンド時代になったのは、2000年代前半以降で、それまでは通常の電話回線を利用したダイアルアップ接続が普通でした。

このダイアルアップは、当然のことながら電話料金が掛かってしまいます。そこで、23時以降あらかじめ指定した電話番号の通話料金が掛からない「テレホーダイ」というサービスを利用しているオンラインゲーマーがほとんどでした。

23時になるとみんな一斉に接続するため若干つながりにくいということもあり、フライングで接続するなんてことも。当時の通信環境は、ISDNの2回線分を使っても、最速で128kbpsしかでませんでした。それでも問題なくオンラインゲームが遊べていたのは、今考えるとはなかなかスゴいことですよね。

ちなみに筆者は、「OCNエコノミー」と呼ばれる、月額3万8000円も取られる専用回線をレンタルしていました。ブロードバンドがない時代に、128kbpsしかでないにもかかわらず高額のサービスでしたが、24時間インターネットに接続し放題だったところが魅力でした。

しかし、この 「OCNエコノミー」は自分でサーバを運用する必要があったため(ただネットに接続するだけならいらなかったかも)、いろいろと苦労した記憶があります。

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高島おしゃむ
ライター/編集者。コンピューターホビー雑誌「ログイン」の編集者を経て、1999年よりフリーに。 現在はゲームやホビー、IT、XR系のメディアを中心に、イベント取材やインタビュー、レビュー、コラム記事などを執筆しています。